親元を離れての生活を10年も続けてきました。
僕が15歳だった頃、58歳だった父は68歳になったわけで、
でも僕の山形で過ごした頃の記憶は今も色褪せず、あの頃のままだから。
たまに帰ると驚くばかり。
そして懐かしさと寂しさが入り混じった何と無く侘びしい感情に似た心の色が込み上げてくる。
僕は成長したのかな?
ええ、間違いなく成長させてもらいました。
自分の力ではなく、10年間の間に出会った全ての人々との出会い、別れ、関わりの中で。
そうなんです。与えられたものの中でぬくぬくと育ち成長してきました。
僕が自分自身と闘い、人の為に我が身を犠牲にして培われるものはまだまださっぱり育めていないような気がしています。
世の為人の為に出来ること。
というと大袈裟だけれども、特に才能に秀でている訳でもなく、人間的に魅力があり、世の中で凄い人、尊敬される人というのは皆自分の時間を他人の為に使えてしまう人だと感じます。
効率を求めると無駄だと思えることも、損だと思えることも、その時は無意味に見えても10年後に意味を有して咲かせることもある。
僕自身がどれだけ今の自分を捨てきって今までの自分の壁を打ち破れるのか、それは案外近くにあって、案外一枚の大きな壁ではなくて、小さな小石がつもり重なった山なのかも知れません。
地道に。その小石を拾い上げて、その山を越える自分自身の土台に変えていく。
むしろそれすらも変えていくのではなく、変わっていくなのかも。
一所懸命、それがつもり重なり一生、懸命に。
10年目の節だからこそ。大変な状況だからこそ。今までの自分の殻を破って人の為に我が身を少しでも使えるようになって山形に帰りたいとおもうのでした。
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